タイの信仰と日常生活、マナー、家庭行事、年間行事などについて日本とタイの両方にルーツを持つ著者がユーモラスに解説。例えば、正しい挨拶のしかた、食事の時のマナー、冠婚葬祭のやり方、誕生日の曜日の色などに関する疑問に答えてくれる。
タイでは仏教と関わる日がとても多い。月に4日あるワン・プラ(仏教の日)は仏教の戒律を守り、善徳(ブン)を積んだり、お寺へ説法を聞きに行く日なのだという。また、タイ人にとって仏教と国王は最も大切な存在。タイの国旗についても「横長の三色旗で赤は国、白は仏教、紺は国王を象徴している」と教えてくれる(17頁)。
パタヤの街を歩いているとどことなく可愛らしい祠(ほこら)をあちこちで見かける。(※写真はパタヤで筆者撮影)
仏教以外にもピー(精霊)信仰が日常生活に絡み合っているからだ。「まだタイに宗教がなかったころ、人々は理解できない超常現象は心霊、精霊、幽霊、お化けやあの世のものによるものだと信じていました。それらをひとくくりに『ピー』と呼んだ」(18頁)という。この「ピー」には家を守る精霊や土地を守る精霊がおり、「ピー」を無視すると悪いことが起こると信じられているため、人々は「ピー」に食べ物や飲み物、お金をお供えする。上の写真の「ピー」は菩提樹の下に作られている。菩提樹は釈迦が悟りを開いた神聖な場所であり、樹木の精霊が宿っている。
興味深かったのはタイ人が大切にしていること。年齢を重ねるほど物欲や憎しみ、怒りなどの煩悩を捨て現状に満足する人間になるべきだと教えられるので、今を楽観的に生きようとするのだという。それは「マイペンライ」(大丈夫=現状を受け止める精神)という言葉に端的に表れている。一方、日本人は「こだわり」が多く「とことんやる」タイプだと指摘する。
気楽な人間関係を望むタイ人は「おはよう」「おやすみ」「さようなら」「はじめまして」はすべて「サワッディ」の一言で済むが、日本では時間や状況によって区別する。一方、食べ方にはマナーがあるようで、目上の人との食事では相手が食べ始めるのを待ってから食べる、帽子は脱ぐ、ごはんはスプーンとフォークを使い、麺類だけ箸を使う。また、日本人は「ごはんを残してはいけない」という考え方だが、タイでは「無理するのはよくない」を優先するので無理して最後の1粒まで食べたりしないという(87-9頁)。
その他、タイ人には本名とあだ名があり、親しい間柄ではあだ名を使うことが多いこと、妊婦は葬儀に参加しない、などの話は興味深かった。また、タイ人は誕生日の曜日を重視していて赤ちゃんの名前や死体を火葬する日は生まれた曜日によって決まる。この曜日にはシンボルカラーと守護仏が決まっており、寺院では自分の守護仏にまずはお賽銭を入れる。
日本との文化比較で飛び切り面白かったのが「第2章マナー」の「車内で」の項。「わたしはよく日本の車内放送はうるさいなと感じます。丁寧すぎてまるで客を小さな子ども扱いをしているようです」と前置きした上で、「次の駅は車両とホームの間が空いておりますのでお気をつけください」「傘などのお忘れ物にお気をつけください」「混雑時の席の譲り合いにご協力ください」「携帯電話をマナーモードにしてください。優先席付近では携帯電話を切ってください」。「携帯電話よりこちらの方がよほどうるさいように思えます」と指摘する(65頁)。確かに日本の車内放送はくどくどと説教臭くてげんなりすることがある。他国では見られない現象だ。
タイだからこそ見えてくる日本の不思議さ。平易な文章で分かりやすく説明している同著はタイ初心者にピッタリの書だろう。