NEW!【バンコク中華街②】昭和末期ジュライホテルの思い出 貧乏バックパッカーの巣窟 1泊500円の劣悪環境でも旅人続々 

【タイ編】

バンコク中華街にほど近いジュライロータリー(Wong Wian 22 July、7月22日ロータリー、วงเวียน 22 กรกฎาคม)にかつて「ジュライホテル(July Hotel、7月ホテル)」と呼ばれる魔窟のようなホテルがあった。昭和末期に筆者は4、5日宿泊したことがある。1泊500円ほどだったような記憶があるが、間違っているかもしれない。それほどはるか昔の話というわけだ。営業は1995年頃に終了しているのに建物自体は取り壊されることもなく、おぞましい廃墟として残っている。スマホで写真を撮ったが、なぜかぼけてしまっているのもノスタルジーを感じさせているようで、ちょっと怖い気もする。

この露店の奥にあるシャッターから中をのぞきこむと、がらーんとした空間の奥に階段とエレベーターらしきものが見える。床は埃だらけだ。シャッター前では昼間から大人が酒を飲んで大声を張り上げている。

まさに廃墟ヲタクにはたまらない観光スポットだろう。それにしてもなぜこのまま残っているのか。ジュライホテルに限らず、バンコクでは多くの古い建物がそのまま見捨てられ廃墟化している。こうした風景がバンコクの魔窟イメージを増幅している面はある。

当時のジュライホテルの部屋は清潔からは程遠く、窓ガラスのカーテンは汚れて破損し、ベッドはスプリングが完全に壊れて人が寝る部分だけへこんでいた。数か月も洗濯していないようなシーツにはシラミがわいていただろうが、不思議なことに筆者は体中を刺されることはなかった。トイレは水洗ではあったが、用を足した後、水貯めからひしゃくで水を汲み便器に流し込む、というスタイルだった。

それでもタイを旅行する日本人バックパッカーは嬉々としてジュライホテルに集まり、誇らしげに(?)沈没生活を送っていたものだ。何かそれが当時のイキな個人旅行者としてのステイタスに繋がっていたかのようなノリだろうか。1990年に発刊された『12万円で世界を歩く』(下川裕治著)がバックパッカーのバイブルとしてベストセラーになった影響もあったのだろう。

ジュライホテルの近くにはさらに劣悪な「楽宮ホテル」があった。こちらも『バンコク楽宮ホテル 』( 谷恒生著)で有名になったが、魔窟度がハンパなく筆者は部屋を見て尻込みしてしまった。

時は流れ現在、ジュライロータリーからヤワラー通りへ向かう界隈はお洒落スポットとして生まれ変わっている。レトロなカフェやバー、レストランが次々と開業し、若者らが集まってくるようになった。

今時のバックパッカーはどのような宿泊施設に泊まるのだろうか。安価だが、小ぎれいで機能的なカプセルホテルのような宿も増えている。間違ってもかつての「ジュライホテル」のような宿は敬遠され時間の流れの中で朽ち果てていくだけなのだろう。

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